2日前、オーケストラの同僚が病で亡くなった。僕と同じ32歳だった。持病が原因で急に体調が悪化したそうだ。突然の連絡に唖然とした。
さきほど、ちょっとバイオリンを弾いていたけれど、一緒にやるはずであった曲を少しでも弾くと、断片的に彼と演奏している姿が脳裏を横切る。告別式は明日で正直実感もないけど、これからの練習でもそんな思いで弾くことになるのであろう。
思い出って何だろうね。まっさきに思いつたものは…、そうか、バンゲリングベイと駐車場か。
最初にやったゲームがバンゲリグベイって、それはネタじゃないのか。思いっきり食いついたぞ。
そして、とある横浜のホールの駐車場。いつだった、土日つづけてのそのホールでの練習。ちょっと都心から離れているから、有志で合宿をすることになった。彼はそのとき幹事をしてくれた。そういうことについてはとても面倒見のいいやつだったな。
昼間にこのホールで演奏すると、そんなに高くないけれど駐車場代がかかる。ところが生れながらの心臓病を患っているやつはいった。
「僕は障害者の証明書を持っているから県内の公共の駐車場はお金がかからないのさ。」
僕も合宿用に車を出したということにしてもらい、結局この駐車料金も含めて合宿の経費をみんなで割り勘した。当然彼の駐車料金かかっていない分、気持ち割安になる。
「やすくなってラッキーでしょ」と彼は言った。僕も何気なく「うん、助かったよ。サンキュー!」といった。
今となっては不謹慎なやり取りなのかもしれない。でも、そう思わせないほど明るくふるまっていたともいえるのだ。実際苦しんでいたのかもしれない。けれども、外から見ると、病気自体をむしろポジティブに利用してるな?、くらいに思われるやつだったのだ。
そんな彼の病気があだとなってこんな悲劇をもたらすとは。
そういえば、先ほど親と話していてこの話したところまたなのかと言われた。確かに昨年もまたその1年前も、同じ年、同じ年代の知人・友人を亡くしている。
初めて同級生を亡くしたのは、中学生の頃。小学校も同じ、中学校も同じ、家から歩いて2分ほどの所に住んでいた友達だった。クラスも一緒だったし仲も良かった。
彼は白血病で14歳という若さでなくなった。あっという間だった。
当時の僕もまだ幼かったから、その友達のご両親にあったときにどう対応すればいいのかわからず、どうしても普通に彼の家の前を通ることができなかったことを覚えている。だって、とにかく申し訳ない気持ちになるからだ。僕らだけが元気に生きていることが。
でも、それから10数年経過する今思うのは、とにかく自分は元気に生きていけばいいってこととだ。
確かにそのご両親からすれば悲しいというほかない。でも、一緒に過ごした同じ年齢の子供として、一生懸命生きていくことが大事なのかなって。単純なことだけど、結局それしかできないわけで、そういう想いに切り替わったことで、今はきっと自然に彼の家の前を通過でき、そしてお会いしても普通にご両親と会話することができると思う。
同級生をなくすたびにそういう思いが強まっていく。生きている自分はやっぱり恵まれているんだと。したがってその幸運を十分活かさなければならないんだと。
でもね、正直言うとあまりこういうことをしょっちゅう考えるのもいいものではない。
まあ、ゆっくり休んでくれ。
告別式は明日。