6日目その3:第一次世界大戦激戦の地「ソンム」を巡るその2 – 2014メドックマラソン日記No.18

メドックマラソンと北フランスの旅 2014年9月
メドックマラソンと北フランスの旅 2014年9月

現地時間:2014年9月16日午後

前回からの続き)

"Vimy Ridge Canadian National Histric Site":カナダ人のための追悼碑

さて、ソンム地方にはいくつかの第一次世界大戦に関連したセメタリーがありますが、なかでも僕が選んだのは大規模でかつ「新大陸」に関連したセメタリーを選択しました。

まずはカナダ人のためのセメタリーを訪れました。

HistoricPlaces.ca – Vimy Ridge National Historic Site of Canada http://www.historicplaces.ca/en/pages/vimyridge.aspx

非常に広大な北フランスの大地に、その場所はあります。

予想していたよりも観光客は多く、駐車場に数台の観光バスが停まっていたのがとても印象的でした。

駐車場付近にあるプレート。

非常に巨大な追悼碑。迫力に圧倒されます。

Wikipediaを見ると、すでにこの追悼碑は1944年頃には作られていたようです。

追悼碑の台座一面に刻まれた名前は、この地で犠牲になり、遺体も認識されないまま、祖国に帰ることができずこの地で永遠の眠りについたカナダ人の名前なのだそうです。

この史跡にエリアには、このような塹壕跡?のようなものが残っていました。

立入禁止になっていました。

あとでこちらで調べたのですが、どうやらこの塹壕跡は再現されたものなのだそうです。

Vimy Ridgeの戦いに関しては、非常に丁寧に説明しているサイトがありました。

このヴィミーはドイツ軍の重要な拠点であり、それをカナダ軍を主体として連合国軍が占拠。この戦いによりカナダの国際的な地位が高まったとのことです。

Wikipediaの西部戦線 (第一次世界大戦)も大変参考になります。

こうしたサイトを現地にいるときに見つけていれば、もっと有意義な観光ができたのかもしれませんね。でも、おそらく、またこの地を訪れるような気がしています。

ちなみに入場料はかかりませんでした。

"Somme American Cemetery and Memorial":アメリカ人のための墓地

続いて訪れたのは、ヴィミーから1時間ほど離れた場所に位置するこちらの施設。アメリカ軍のためのセメタリーです。

Somme American Cemetery | American Battle Monuments Commission http://www.abmc.gov/cemeteries-memorials/europe/somme-american-cemetery

静かな平野に佇む一軒家のような建物。この正面に車を停めました。僕以外誰も観光客はいませんでした。

なんだかこのヨーロッパ大陸の地、フランスの地に星条旗、そして英語表記が連なる光景は違和感さえあります。

現地でいただいたパンフレット(英語)や案内版、そしてネット等で調べたところによりますと、アメリカ軍は第一次世界大戦において、ドイツ軍の「ヒンデンブルク線」を突破するのに貢献を果たしたとのこと。(the Meuse-Argonne offensive=ミューズ・アルゴンヌ攻勢として知られるそうです。)これによりドイツ軍は西部戦線において大打撃を受け、11月11日についに休戦へと追い込まれるのです。

記帳も行ってきました。一日の数組程度ですが、毎日ではないものの、今でも時折訪れる人がいるのですね。

さて、記帳を済ませた後、墓地の方に行ってみました。訪問者は皆歓迎なのだそうです。

とても100年前にそんな激戦があったのかなどウソみたいに静かな光景。

ここならば安らかに眠ることができるのかもしれない。

シンプルな英語のフレーズがかえって説得力と重みを感じさせます。

墓標には亡くなられた方の名前が刻まれています。しかし、すべての墓標に刻まれているわけではありません。

天気のいい午後の昼下がり、あらためて平和の素晴らしさを感じました。今、こうして平和に静かに過ごせることができるのは、このような先人たちの犠牲があった上でのこと、これはゼッタイに忘れてはいけないと思いました。

日本人にとって馴染みの薄い第一次世界大戦をあらためて考えてみる

第一次世界大戦がどういうものだったのか、どういう背景だったのか、語り出したら、調べ始めたらきりがありませんが、僕なりにいろいろな文献を調べて感じたのは、100年前の世界は、現代の我々が思っている以上に原始的な時代だったということです。

原始的とはなにか、それは「相手を倒さなければ自分が倒されてしまう。だから戦争して勝ち抜く以外にない」という思いが当たり前だったということ。

そもそも第一次世界大戦は、サラエボでのオーストリア皇太子暗殺をきっかけに、オーストリアとセルビア起こった戦争なわけです。それがなぜドイツがいつのまにやら中心になり、北フランスの地で戦争が行われたのか、イギリス軍、フランス軍といったヨーロッパの国の軍隊だけでなく、カナダやアメリカといった新大陸の軍隊がこの地で戦わざるを得なかったのか。

それは、結局のところ、相手を倒して世界の覇権を取る、そして植民地支配の有利に進めるため。そうしないと相手よりも自分が有利な状況で植民地支配、経済支配を行うことができない。だからこそ、負けられない戦い、相手の領地を占領して、武力でもって有利な交渉に持っていくしかなかった。

前時代どころか非常に原始的だったと思ったのはこういう背景からです。

そして今の時代の「平和」とは、こうした過去の失敗を2回も通してようやく確立された概念だったんだと。

どうしても日本人は、当事者となった第二次世界大戦だけでもって、今日の平和へと至る歴史を理解してしまいます。しかし、さらに今の平和を深く理解するためには、その前段階となっている第一次世界大戦、そのときの世界観を知ることがすごく重要だと思いました。

難しいけれど、もっと日本人も第一次世界大戦についてしっかりと勉強してもよいかもしれません。

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