僕の場合は、2001年に新卒で会社に入ったので、今何年目かというカウントを計算するのが比較的楽である。入った当時のオフィスは丸の内の皇居の目の前にあって、よく帰り道、最寄り駅から少し離れた日比谷、霞が関まで、お堀沿い→日比谷公園と歩きながら、なぜ今自分が研究者になることをあきらめてこんなところを歩いているんだろう、といったどうでもいいことを想いながら歩いていたことを思い出す。
そんなわけで、この4月から社会人8年目に突入したわけであるが、確かに合計4つの会社での業務を経験したとはいえ、まだ高々7年しか社会に出て働いていないわけである。冷静に考えてみると、7年ごときじゃやっぱりそれなりことしかできないんだな?、とも思ったりもする。
ところで。
最近、自分が時代から取り残されてしまっているのではないか、ということを改めて感じるようになった。今の自分のスキルや考え方が本当に時代に相応しているのか。結局僕が持っている社会人としてのスキルは、日本株式運用(それもで結構限定的な)の能力や知識くらいしかなく、あとは経験から身につけた金融全体・経済全体の知識程度。でも、この今持っているものですら、すでに一昔前のもののようにも感じる。特段根拠があるわけではないが。
今の会社での業務を考えると、本当に最先端の現場にいるとは到底思えない。それだけで遅れている気がする。確かに情報は入ってくるけれど、実際活用しているわけでもなく、それがまたさらに遅れを連想させる。
はっきりいってしまうと、先3年の目標だったりビジョンは、転職経験が多いということもそうして、常にきっちりと表現できるようにしているし、さらにそれらが1つではなく、3種類程度具体的にイメージしている。でもそこには時代に取り残されないための方針といったものはあまり書かれていない気がする。
時代に遅れない、これは実は大学入学時にも思ったことがある。入学当時、Play Stationが発売されある程度普及したころであった。大学へ入る前、高校生のころも含めて、僕はいったん家庭用ゲーム機から遠ざかっていた時期がある。スーファミからPS発売初期、このころのゲームの記憶がない。このことが、当時の僕よりも下の世代、中高生、小学生との距離を大きくするのではないか、そういったことを心配するようになっていた。
なぜそこでゲーム、何もゲームを取り出さなくてもいいとも思えるが、高々ゲームですら今の流行についていけないのはやばいかもしれない、と思って、友人からさっそくスーファミを借り、そしてその数ヶ月後に、バイト代でプレステを買ったのである。このときに一番やりこんだのがファイナルファンタジーシリーズ(4?8までが学生の頃プレイ)であった。
今思い返してみると、ここでスーファミやプレステを買いFFシリーズをやりとおしたいたからこそ、リトルジャックというオーケストラに入れたのだと思う。非常に偏った趣味の軍団といえばそれまでだけど、実際この団は自分よりも年下の人が多く、中には一回りも違う学生さんだっている。確かに話題が合わないこともあるが、音楽とかゲームといった話で世代の違う若い人たちと交流できる環境には違いないことから、当時何気なく始めたゲーム機を買うという試みが、これだけの年月を通して功を奏したといえるのかもしれない。
またそろそろ、あの時のような時代遅れの危機感を意識し、何かその対策が打てればいいな、と考えている。プライベートでも仕事においても。