ミニマムな生活への移行 これからの閉塞的な日本経済のことを踏まえて

essay

昨日書いた今年の目標の中にひとつだけ抽象的なものがありました。それは「ミニマムな生活」を始めるということです。

これはどちらかというと今年にかぎらずこれから数年間の目標といっても過言ではありません。

どういうことなのか、少し取り上げてみたいと思います。

ミニマムな生活とは

すっごく簡単にいえば必要最低限のもの以外は所有せずに生活すること。ざっくり節約生活といってもいいかもしれませんが、ほんの少しニュアンスがちがうかもしれません。

自分が考えているものとは違う部分も多々ありますが、概ねこちらのちきりんさんのエントリーをとても参考にしています。

(参考ブログ)

先行きがはっきりしない世界経済

確かに生活費全体を切り下げるのも大きな目的だったりしますが、それ以上に日本経済にも会社にもまったく期待できなくなってきていることが大きな理由です。

まず何と言っても世界経済の動き。もう結局のところ、個別企業の経済活動とかはどうでもよくて欧州の債務問題がどうにかならない限り投資家もきちんとしたビジョンをもって投資できないですよね。

最近の市場動向のニュースなんてマンネリ化していて、日々「株価が上がった→欧州債務懸念が緩和」「株価が下がった→さらなる欧州債務懸念が浮上」の繰り返しの内容ですよ…。もうほんとネタがない感じ。多少各国のマクロ指標動向等で小動きはしますが、結局この問題で片付けようとする。

どうしようもないです。はっきりい言いまして、欧州債務問題はこれといって解決するような方向性は今のところ全くといっていいほどありません。

ますます閉塞感漂う日本経済

そんな世界経済の環境下において日本はどうかというと、これまたぱっとしなさすぎ。

なんかざっと箇条書きであげてみても、これだけ上がってしまいます。

  • 結局のところ、欧州債務問題が解決しない限り身動きも取れない株式市場と為替市場
  • 全く魅力のないメーカーの製品
  • 異様とも言えるネットビジネス、オープン化、新規参入への拒絶反応
  • 原発問題

一般的と言うよりかはやや個人的関心ともいえますが、

  • コーポレート・ガバナンスに対する意識の薄さ
  • 政治家やマスコミの世代間格差への言及のなさ
  • 著作権ビジネスに対する時代遅れな発想
  • 事なかれ主義、過剰コンプライアンス

なんかも気が重くなるはなし。

日本経済においてもかつての勢いはなく、日本を代表していた製造業にも経済を牽引していく力があるようには思えません。無駄に高機能性ばかりを追求した結果、Appleを始めとした革新的な思想設計のもと開発するメーカーに大きく遅れをとってしまう。

僕の身の回りをみても、いつのまにやら自動車にしても家電にしても、気がつくと僕の部屋には日本製の製品が本当になくなってきた。

自動車はアルファロメオ、PCや携帯電話はApple、家具はIKEA。先の日記で掲げた実家に持っていくもののほとんどは外国製。日本製なのは最近さっぱり利用していないゲーム機器くらいです。

だって日本製魅力ないもん。

そういえばこんなインタビュー記事を読みましたが、こうした考えが標準っぽい?日本企業に嫌気がさすばかり…。

このように、対外的な経済環境、そして面白みのない日本の経済活動を踏まえると、まさに景気そのものが収益の源泉となる証券業界、金融業界に身を置くものとしてはボーナスはもちろんのこと給料自体も期待できないわけです。

決断できない組織の一員として

そうはいっても我々は所詮雇われる身である以上、会社を頼らざるをえない。もう30代後半になりますからね、職種を変えてもわけにも行きません。実は変えられるのかもしれませんが、いずれにしもてリスクを取る割には明らかに給料が下がることが目に見えています。

ということで、今のところ遊んで暮らしていけるほどの貯蓄がない以上、生活していくためには会社にしがみつくしかない。

まだなんとか存続しているとはいえ、この組織がまったく決断ができない構造がゆえに本当に頼り甲斐がないわけです。

これはもちろん個々の会社そのもののせいでもあるのでしょうけれど、どちらかというともう日本社会全体の問題、全体からの影響であり、一概に会社だけのせいにもできない気もします。

これもまた無駄な閉塞感のひとつであり、日本社会や経済の停滞の原因にもなっているかと思います。

この閉塞感を嫌になるほど実感したのは大震災の時でした。秋の台風も含めておきましょう。

秋の台風の時なんてあれだけ首都圏ヤバいって言われててもうみんな帰したほうがいいんじゃないですかって進言したにもかかわらず「帰宅するかは電車が止まってから総合的に判断」とか平気で言ってましたからね…。

幸い僕なんかは裁量労働制なので業務上差し支えなければある程度自分の判断で帰っても問題ない立場だからいいのですが、そうでない人は本当にかわいそうです。

まあでもこんな職場って日本では非常に一般的なんだなと思います。

こんな決断ができない環境で、ますます閉塞的になっていく経済において生き残っていけるのでしょうか。

決断できないうえ給料も伸びない管理職になる意味はあるのか

逆に言うと、こうした空気、常識のなかでは、いざ自分がその立場になったときにきっと決断できなくなると思うんです。

であれば、そこまでしてマネージャーになる意味があるのでしょうか。

先に述べたとおり、もはや大きな経済成長は期待できない。にもかかわらず決断できない日本的な組織が維持されるのであれば、間違いなく給料も頭打ち。マネージャーだからといって一般社員と大きな給与差が出るとは思えない。

リスクを取らなければ給与は増えない。しかし組織や空気がリスクをとらせなくする。従って給与は増えない。

自分の裁量で決断もできない、さらには給料も増えない。もはや無理してマネージャー、出世を狙っても、ストレスを抱えるだけであり、自由な時間は減り、その減った時間もまったく有効にできていない。

今のところ全く選択肢として除外しているわけではありませんが、無理に出世にこだわるのは避けたほうがいいと考えています。

限られた収入の中で、自分がやりたいことをやる、時間の自由を確保する、このほうがよっぽど幸せだと思いました。

信用力という無形資産なしでのミニマム生活はありえない

これはミニマム生活の大前提だと思っています。持たなくても「持てるポテンシャル」「借りるポテンシャル」はもっておくことが大事なのでは。

端的な例では「住居」。

所有しなくてもいいのでしょうけれど「住む場所」については否が応でも確保しなければならない。賃貸でもよいのですが、そのために必要なのは「信用力」。

いくら保有しない生活をしたいと思っても、家が借りられなければ生活することができません。

借りられる力ともいえるかもしれない。そのためにはある程度実績のある企業に務めているということは強みになります。

それからもう一つ、財産を持っていることもひとつの「信用力」になります。財産自体担保にもなりますからね。

もう既にある程度の財産を持っている、かつ40代後半であれば十分逃げ切れるのかもしれません。しかし、30代で信用力を維持しつつ総リタイア、信用力を維持しつつ「もたない」生活をすることは非常に困難だと思います。

そういう意味ではたとえ閉塞感漂う日本企業とはいえども「信用力」は健在、従って所属しているだけでもかなりメリットがあるのです。

余暇の増加と趣味関連の支出のバランス

給料は伸びない、しかし時間は増える。

当然ながら暇を弄ぶのももったいない。やはりというか趣味による出費は、多少散財を抑えたとしても楽しむためには最低限は必要。

しかし、さらに先の将来のことを考えると今までのような浪費は避けないと、思ったようなライフプランは描けない。その覚悟は必要でしょう。

幸い僕の巨大支出趣味は「旅行」、これを抑えるだけでもかなりの効果があります。もちろん今となってはライフワークに近いですから辞めたくはないのですが、本当に経済も会社も給料も閉塞的にあるのであれば、ぜいたくは行ってられませんよね。

もうひとつは車でしょうか。保有しなくなるだけでもずいぶんと節約になります。車については次のセクションで少々影響します。

オケ活動は正直そんなにお金がかからなくていいです。楽器も持っていますし、ヴァイオリンはメンテナンス代がたいしてかかりませんからね。

実家に帰ります

ここまでの流れをいったんまとめます。要するにこういう流れです。

「ミニマム生活へ移行しようと思った背景」

  • 保有するって考えはもう古い
  • 日本経済、世界経済やばい
  • 社会全体の閉塞的な雰囲気変えられない
  • 給料増えそうにない。むしろ減る
  • 会社も閉塞感を打破できるほどのパワーも組織力もない
  • 苦労して出世してマネージャーになっても給料増えない、自由な時間が減る
  • だけど会社辞めるわけにもいかない
  • 会社員という信用力大事

なので、

「ミニマム生活移行への具体策」

  • 会社やめない → 収入、信用力の確保
  • 実家に引っ越す → 生活費削減 将来への貯蓄 余暇支出への余地確保

ミニマム生活とは単なる節約生活ではない

はい、実家は静岡の東部なのですが田舎です。新幹線を使えば1時間で通える距離、会社通いをするには全く問題ない距離です。確かに定期代はかかりますが、東京で暮らすよりもはるかにローコストです。

しかし、勘違いしてはいけないのミニマム生活とは単なる節約生活ではないということです。

「退屈だったら意味が無い」「面白くなかったら意味がない」

節約したかったら趣味を捨てればいいだけなのです。そしてリスクを取ってでもキャリアアップを目指せばいい。

ネットが日常生活の世界、もはや都会に住むメリットは少ない

そうはいっても田舎は退屈。確かに。数年前であればこのような選択肢は取らないでしょう。しかし、今は違います。

例えば買い物。東京に住んでたって街にショッピングとかデパートとか行きますか?もちろん行くでしょうけれどもその機会ってすごく減りましたよね?

服、CD、家具、ほとんどはネットで済ます。直接買い物に行くのは日用品を近所のスーパーに買いに行く時くらい、あるいはコンビニにいくときくらい。

コミュニティについてもそう。同じ趣味や関心を持つ仲間なんてすぐネットで見つかる。twitterでオケができてしまうくらいですからね。

田舎暮らしで一番ネックとなるのはコミュニティーを広げる事だと思うんです。以前であれば地域の限られた人としか付き合うことができなかった。平日は会社のみ、休日は地元の人のみ。

でももはやそんな時代ではないことは明らか。

幸い勤務地は東京ですからね。定期を買っていますからお休みの日東京に定期で来て遊んで買えればいい。終電間に合わなくなったらホテルでもとって泊まってしまえばいい。いまはデフレですからホテル代なんてたいしてかからない。

移動中は優雅に新幹線でネットでもしてればいい。寝たければ寝ればいい。

クラウド、GoogleとAppleの影響

昨日の日記でも書きましたが、いまは田舎でこのくらいあれば十分暮らしていけるんです。

  • 布団、衣類、本、カメラ機器(一眼レフ)、生活必需品
  • iPhone
  • iMacやMacBookPro
  • テーブル
  • チェア
  • 本棚
  • クローゼット/li>

  • 自転車
  • 自動車
  • 旅行用トランク1台
  • 楽器(ヴァイオリン、フルート)

多分6畳人まで余裕で暮らせると思います。

すでにお気づきですが、やっぱりiPhone、Macが中心なんですよね。

言うまでもなくクラウド生活で欠かせないGoogleのサービス、それを利用するためのハードとしてのApple製品が中心。いまや彼らのサービスなしには生きられません。だからこそミニマム生活への移行を決断できたのだと思います。

自分が思い描いているミニマム生活って実は「クラウド生活」といったほうがいいかもしれませんね。

まとめ

以上、これから数年の大きな目標に関して、その背景と実際の行動について長々と書いてみました。

実家に帰ることで生活費を大幅に削減しつつも、趣味や自分の時間を大事にする。

この数年のライフスタイルの変化、そして新しいコミュニティとの出会いによって、ようやく自分にとって非常に楽しみながらミニマム生活を送る環境が整ってきました。

GoogleやApple中心の生活がここまで考え方を変えるとは思いもよりませんでした。

実際の行動は、所々の事情により半年後以降となりますが、あまりのんきなことも行っていられませんので今からその実行に向けて少しずつ動いていきたいと思います。

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