弦楽器奏者に役立つアレクサンダーテクニーク体験学習会に参加しました

05.音楽violin

先週の土曜日、Vn仲間のいちろーたさん主催の「弦楽器奏者に役立つアレクサンダーテクニーク体験学習会」に参加してきました。

いちろーたさんはこちらのサイトを運営されております。

弦楽器奏者に役立つ・カラダのやさしい使い方 http://ezplaystrings.com

粒オケのときはもちろんのこと、その後も幾度か演奏をご一緒させていただいたご縁もあり、こうした企画をご紹介していただいたのが参加のきっかけです。

そもそもアレキサンダーテクニークとはなにか

そのままWikipediaを引用させて頂きます。

アレクサンダー・テクニーク(Alexander Technique)とは、心身(すなわち自己)の不必要な自動的な反応に気づき、それをやめていくことを学習する方法。頭-首-背中の関係に注目することに特徴がある。一般には、背中や腰の痛みの原因を改善、事故後のリハビリテーション、呼吸法の改善、楽器演奏法、発声法や演技を妨げる癖の改善などに推奨されることが多い。

wikipediaより引用

なるほど、楽器奏法だけではなくいろいろの分野への応用範囲があるようです。むしろ逆に楽器奏法にも応用されたといったほうがよいのかもしれませんね。

なぜ興味を持ったのか、体験会参加のきっかけ

これは講習中指導を受けた時のも申し上げたのですが、僕は大人になってからヴァイオリンを始め、1年も満たずにオケで弾き始めたこともあって、どうやら変な癖が付いているせいなのか、早いフレーズ、特に1stポジションでの早いフレーズにとても苦手意識を持っています。

その原因のひとつが構え方や姿勢にあるかもしれない。しかし、どう改善していけばよいのかわからない。

そんなときに知り合いのいちろーたさんからこちらのアレキサンダーテクニーク体験会の話をお伺いしたわけです。

もともといちろーたさんとは、粒オケ等通して幾度か演奏をご一緒させていただくなど、プライベートでの交流も続いていた縁もあり、この度参加をさせていただくことになりました。

アレキサンダーテクニーク、率直な感想

確かに医学的な見地から奏法を見直すという側面の強いアレキサンダーテクニークですが、いざレッスンを受け始めると、

「アタマ」の開放するためのメソッド

だという印象のほうが強くなってきました。

無理をしない奏法をすることによって、より演奏そのものに専念できるようになることこそ、この手法の本質があるのでは、ということなのでしょうか。

以下、そんなふうに感じた経緯を、体験会のようす等の説明を通して説明出来ればと思います。

体験会のようす その1:参加者とすすめかた

さてさて実際の体験会のようすについて書いてみましょう。

体験会は都内某所で開催、参加者は20名程度でした。やや女性のほうが多い印象、年齢層は学生さんから年配の方まで幅広かったと思います。また、技術レベル的な観点で言えばこちらも幅広く、アマチュアだけでなくプロ、ヴァイオリン講師の方も、そしてアマチュアの方も楽器歴が数年から数10年に渡る方と非常に多岐にわたっていたと思います。

体験会のすすめかたは、基本参加者のひとりが前に出て、それぞれの悩み、改善したいことなどを講師の先生にお伝えして、それに基づいての指導を他の参加者の前で行なっていくというスタイル。

前に出て指導してもらいた人は自主的に手を上げ、それを講師が指名するという形で体験会はスタートしました。

だいたい一人あたり10分〜15分の指導でしたので、3時間という枠内では20名の参加者全員まで指導をすることはできなかったのですが、それでも多くの方がひとりひとり丁寧にご指導いただけたのではないかと思います。

体験会のようす その2:具体的なテクニークの指導、技術面

先にも引用した「頭-首-背中の関係に注目することに特徴がある」という言葉通り、たとえば、

  • 首の位置の確認
  • 肩甲骨を下げすぎると指の動きが不自由になる
  • 背骨まっすぐにすることは実は背骨の構造とは反している

といった具体的な指導が体験会ではなされました。

どうやら「動かす」のではなく「動かせるようにしておく」という考えが、その根底にあるといったところでしょうか。

さらなる具体的な指導等については、先に紹介したいちろーたさんのブログ記事や他の方々のブログ記事などをご参考にしてみてください。

体験会のようす その3:予想以上にメンタル的な指導が多い

最初にご紹介したとおり、アレキサンダーテクニークは医学的見地に立った指導が中心ではあるのですが、今回とくに驚いたのは、意外にも精神面に関する指導も多かったことでした。

講師のバジルさんの教え方、「たとえ」がとてもわかりやすかったともいえます。

以下、その内容の一部をご紹介します。

その1:スパムアプリはアンインストールすべし

講師のバジルさんは、

『演奏をiPhoneにたとえるならば、iPhone本体がカラダ、そして演奏技術や演奏に対する考えはアプリ』

とたとえて、

『ネガティブな発想、過度な謙遜は即アンインストールをしたほうがいい。演奏面でプラスになることはないから。』

と強調されていました。

その2:演奏者にとってあがることはむしろ必須

あがるというのはアドレナリンが出ているから。そのアドレナリンを演奏に向けることができればよい、とバジルさん。

昔ベルリン・フィルのトップ(楽器失念してしまいました)の方は、弟子を取る際に、

「あなたはコンサートのときあがりますか」

と聞いて「はい」応える人のみ弟子にしたのだとか。

その3:観客を「かぼちゃ」と思ってはゼッタイにいけない

これもあがり対策としてしばしば聞かれるものですが、これはゼッタイによくないんだとバジルさんはおっしゃいました。

お客さんに向かって、「私の演奏をお届けします。是非聴いてください。」という心がけが大事、考えてみれば人に演奏をきかせるものとして当然の姿勢だと思います。

その4:コントロールできないものを無理にコントロールしない

参加者の中にコンクールで優勝を目指している方がいらっしゃいました。せっかくでるのだから優勝したい、そんな彼に対してのバジルさんのお話が印象的でした。

『いい知らせと悪い知らせがあります。』

『まずは悪い知らせから。』

『コンクールというものは、優勝しようと思うとなかなかそれが取れないもの。』

『次によい知らせを。』

『もう優勝できないだろうな、と思うと意外に取れてしまうもの。』

つまり、

『コントロールできないものを無理にコントロールしない』

そう思うだけで、演奏に集中できる、ということ。

その5:誓約書の話

毎日こんな誓約書を書いてみてはいかがでしょう、というご提案。

『神様、演奏の出来に関してはあなたにお任せいたします。』

『そのかわり、わたしは演奏に専念いたします。』

毎日書き綴ることで演奏に専念、演奏に真摯に向き合えるようになれる、そんな効果が期待できるお話。

あらためてアレキサンダーテクニックとはなにかを考える

こう書いていくと、なんだかどうも「メンタリティー」を向上させるトレーニングといった側面が強そうですが、アレキサンダーテクニークとは、

「アタマ」の開放するためのメソッド

そして、そのためには、

カラダにかかる無駄な制約を取り除く必要がある

というものなんだなあと思いました。

ところで前述したように、バジルさんは、「カラダはiPhone本体、そして技術はアプリなのだ」とおっしゃっていました。

実はこれを聞いた時、それじゃあiOSはいったい何にあてはまるの?、という正直どうでもよいギークな疑問が生じたわけです。

しかし、よく考えてみると、このアレキサンダーテクニークは、演奏技術(=アプリ)とカラダ(=ハード)をスムーズに繋ぐ概念ともいえるわけですから、アタマ=OSであり、このOSを進化させていくことなんじゃないかなあと思ったわけです。

その進化のきっかけをあたえてくれる考え方がアレキサンダーテクニークなのかもしれません。

その例えが適切かどうかはともかくとして、無駄なカラダの動きの制約から解き放たれればより演奏面に専念できるようになることは間違いないと思います。

自分にとって、これからのアレキサンダーテクニーク

最後に今後自分自身がどうしていきたいのかについて書いてみます。

正直なところ、あたりまえのことではありますが、たった1回の体験では、この手法が有効かどうかの判断ができません。

確かに体験を通して、カラダが楽になり演奏そのものに集中できるようには感じたものの、それが果たして本当にカラダが自由になった影響なのか、それとも単に講師のバジルさんのトークが上手すぎてその場である種の洗脳状態になっていた影響であったのか、よくわかっていません。

「洗脳状態」というと少々表現がよくないのかもしれませんが、少なからずこうした指導概念というものは時に根拠なしに「信じる、信じない」の世界に陥りやすいのは事実ですので、この点に関しては特に注意が必要だと思います。

したがって、これから先、アレキサンダーテクニークを本格的に学んでいくのか、もう少しゆっくりと時間をかけながら考えて行きたいと思います。

ただし、少なくともこのテクニークの情報については引き続きフォローして行きたいと考えています。

このような体験の場を設定していただいたいちろーたさんと講師のバジルさんにはあらためお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。

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