本当の地元の良さなんて歳を取らないとわからないもの。
3月の終わりになりますが、妻のご両親とともに私の実家を訪れました。ちょうどテスラ試乗会の前の週でした。私の実家は静岡の東部にありまして、6歳から19歳(1浪で大学)までこの家で過ごしました。
どうしてこのタイミングで帰ったのか、それは正月に帰らなかったからでした。東京からクルマで行けば1時間30分程度の距離、そんなに遠くはありません。しかし、いわゆる帰省ラッシュに巻き込まれてしまうので、そのラッシュを避けるべく無理に年末年始に移動しないことにしていました。そうはいってもそろそろということで、だいぶ遅くなってはしまいましたが、一応挨拶でもしにいこうかと思った次第です。合わせて、妻のご両親を私の実家にご案内したことがなかったので、みんなの都合のつく3月末を選び、実家へ帰ることになりました。
せっかくなので、その日は伊豆に1泊。伊豆長岡温泉に宿泊。正直、宿泊施設は値段相応?と程度の言及に留めておきたいと思いますが、妻と妻のご両親と楽しいひと時を過ごすことができました。
翌日は伊豆観光。まずは近くの[highlight]「韮山反射炉」[/highlight]に。ここを訪れたのは、高校の遠足以来。私の母校である高校がこの辺りにあるのですが、高校1年の頃、ここに行った覚えがあります。反射炉は当時からそれなりに有名で、観光客もちらほら見かけることができたスポットですが、近年は地ビールができたり、あるいは世界遺産認定を狙っていることもあってか、昔のイメージからするととても賑わっている感じがしました。
当時からいらっしゃったのかもしれませんが、ボランティアガイドさんもいました。そこであらためて「反射炉」の説明を受けました。そのボランティアガイドさん、反射炉設計を主導した江川太郎左衛門英龍のこと、そして、この地に素晴らしい資産が残っていることをとても誇りに思っている様子が伺えました。なんだかとっても素敵でした。江川太郎左衛門英龍は、私の母校の創始者でもあります。私もあらためてそんな創始者の偉業の素晴らしさを感じました。
ちなみに、現在の[highlight]東京の「お台場」という名前の由来[/highlight]は、江戸末期、ペリー来航後、江戸防衛のため、幕府が反射炉を築いたこの伊豆韮山代官の江川太郎左衛門英龍に命じて、ヨーロッパ式の海上砲台を建設させた場所であったというところから来ています。
高校時代は、どうしても身近過ぎてあるのがあたりまえだから、その良さには気がつかないのですが、こうして月日が経ちあらためて訪問すると、その当時は見えてこなかった、わからなかった魅力というものが、随所にあることに気づかされました。
その後、修善寺温泉街にも行ってきましたが、ここもあらためて素敵なところだなあと思いました。
あれから20年近くが経ちます。今でもFacebookで、当時のクラスメイトとつながったり、そして、私はあまり顔をだすことができていませんが、たまに、一緒にあって飲んだりと、みんな相変わらずの仲良しのようです。高校時代、とても楽しかった、だからいつまでも思い出を語り合いたい、というのは、みんな同じみたいですね。
機会があればまたゆっくりあちこち訪れてみたいです。