日時:2015年9月24日
「Google Timelineによる軌跡」
ドイツ旅行から戻ってきましたので、こちらの更新を再開します。あとちょっと残っています。
ベルガモ散策
この日の午前は宿泊していたベルガモの観光。アパルトマンでの朝食を終え、チェックアウト。駐車場の延長料金を支払い、観光開始です。
ベルガモ市街は、丘の上の旧市街チッタ・アルタ(上の町)と、丘の下の新市街チッタ・バッサ(下の町)からなっております。僕が宿泊していたのは、旧市街チッタ・アルタの方です。新市街にも見どころはあるのですが、クルマで通過する際にざっと街を見たので、歩いてまわるのはこの旧市街側にしました。
まず旧市街の中心ヴェッキア広場へと向かい、その裏にある「サンタ・マリア・マッジョーレ教会」を訪れました。この教会は初期のロマネスク様式(ロンバルディア・ロマネスク様式)に分類されるようです。完成は1521年。
ところでこの教会、外観を見た第一印象は、とても独特で美しく、あまり他では見たことがない、でした。が、実はこれは教会に隣接する「コッレオーニ礼拝堂」だそうです。教会の一部とは別物と考えて良いのでしょうか。なお、礼拝堂内部は撮影禁止でした。
続いて、同じくヴェッキア広場にあるラッジョーネ宮殿の塔に登りました。この塔の入り口でベルガモカードを購入。市内の美術館や公共交通機関(バス、フニクラ)の1日利用券がセットとなったカードです。もちろんこの塔への入場もこのカードで可能です。
塔の上まではエレベーターで。そこからはベルガモの街はもちろん広大なロンバルディア平野を見渡すことができました。うん、いい天気。
ちょうど真正面に見えるコッレオーニ礼拝堂とサンタ・マリア・マッジョーレ教会がさらに印象的で美しい!
続いては教会裏にある「ドニゼッティ博物館」に向かいました。しかし、どうやらあいていないようでした。残念。
その後は、美しい旧市街を散歩、そして最後にフニクラーレ(ケーブルカー)に乗って、ベルガモ旧市街を一望できる丘へと向かいました。ベルガモカードについていた1日乗車券が使えました。
ベルガモ旧市街自体が丘の上にあるのですが、ここはさらに旧市街よりも高い丘。良い眺めでしたがちょっと街が遠すぎる感じだったでしょうか。
なお、この旧市街側のフニクラーレの駅近くには、ドニゼッティの生家がありました。ここもミュージアムになっているようなことを聞いていましたが、開いている気配はありませんでした。
これにてベルガモ観光は終了。とても美しい街でした。来てよかったです。
ベルガマスク
ところで、「ベルガマスク」という名前のついた曲を、クラシック好きな方なら名前くらいなんとなく聞いたことがあると思われます。「ベルガマスク」とは、「ベルガモの」または「ベルガモ舞曲」を意味するそうです。
おそらく最も有名なのは、ドビュッシーの「ベルガマスク組曲」だと思います。ピアノ組曲ですが特に3曲目の「月の光」が有名ですよね。また、同じフランスの作曲家フォーレも「マスクとベルガマスク」という曲を書いています。どちらも、ポール・ヴェルレーヌというフランスの詩人が書いた「艶なる宴」にもとづいて作曲された作品。この詩の舞台となっているのが、このベルガモなのだそうです。
僕は、ドビュッシーのベルガマスク組曲もフォーレのマスクとベルガマスクも大好きな曲であり、なんとなくこうした事実を知っていたからこそ、この街を訪れたいと思ったわけです。
飛び地「カンピョーネ・ディターリア」へ
続いて向かったのは、イタリアとスイス国境にあるルガーノ湖畔にある「カンピョーネ・ディターリア」という街。実はここはイタリアの飛び地。
スイスの中にぽっかりとイタリアの街があるのです。スイス領土内にある飛び地ということは、当然ながら一旦イタリア国境を超えてスイス領土内に入らなければいけません。スイスは、現在はシェンゲン協定国なので、入国の際にパスポート等の提示は求められませんが、高速道路から入る場合、[highlight]「ヴィニエット」[/highlight]と呼ばれるステッカーをフロントガラスに貼っていないと、国境警察に停められその場でこのヴィニエットを買わされます。スイス国境付近であればイタリア領内のスタンドでも買うことが可能なので事前に貼っておくことも可能です。
このヴィニエットを導入しているヨーロッパ諸国はいくつかあります。代表的なところはスイスとオーストリア。その他チェコ、スロヴァキア、ハンガリーも導入しています。
ヴィニエット | my lifelog yuu-koma.jp https://www.yuu-koma.jp/?page_id=1546
スイスのヴィニエットの残念なところは、1年間有効のもの1種類しかない点。これが40ユーロもします。オーストリアやチェコには有効期間が1週間、1ヶ月、1年と複数種類あり、当然ながら有効期間が短いほうが安いです。1週間程度だと1,000円くらいですからね。もっとも4,000円払えば高速走り放題というのは、日本はおろかフランスやイタリアと比較したら遥かに安いことには変わりありません。
さて、そんなヴィニエットを買わされるも、そこからスイス高速道路に乗ったのはほんの10分程度。高々10分程度で40ユーロは高すぎ…、でも高速を使わないと相当遠回り&山道ルートを通らないと入れないのでもう諦めました。そして、スイスの街「ルガーノ」の手前のインターで降りて、飛び地「カンピョーネ・ディターリア」を目指しました。降りてからは数分で到着したでしょうか。
街の入口にはこのようなゲートみたいなものがありました。とりあえずここはイタリアだよと主張はしていますが、どの地点からイタリア、というかこの街なのかという境界線の場所は不明でした。
正直街にはカジノくらいしかないので、別に入る気はないですがとりあえずそこに向かい、その前にある駐車場に停めました。パーキングメーター式、ユーロとスイスフラン、どちらでも使えるようでした。
とりあえずカジノ付近を散歩。一般に飛び地は、地域産業活性のために税制やカジノ等の規制が緩めに設定されることが多いのですが、ここもまさにそのとおり各種規制が緩いため、周辺各地から多くの観光客がカジノ目的で来るそうです。もっともギャンブルに興味ない僕は外観を眺めるにとどめました。時間もあまりなかったので。
その後は湖畔沿いを歩いたり付近の街並みをちょっとだけ散策しました。天気が良くて眺めは最高でした。
ちなみに、地図をよく見ますとと「カンピョーネ・ディターリア」を取り囲むスイス領そのものも、ルガーノ湖を渡る橋が1つかかっているとはいえ、スイスからは陸続きではないのですね。
ということは、この取り囲むスイス領そのものがいわばスイスの飛び地となっているわけです。従って、「カンピョーネ・ディターリア」って実は[highlight]「飛び地の中の飛び地」[/highlight]とも言えるわけです。
ところで、なぜカンピョーネ・ディターリアが飛び地になったのか。中世の頃、この地はミラノのカトリック教会の修道院が保有する領域でした。当時この街や周りを取り囲むスイスは、神聖ローマ帝国内の領土であり、要するにそれぞれの封建領主の持ち分だったわけですが、16世紀にスイスが周辺の村を併合した際に、この修道院は教会の特権を盾にそれを拒否。その結果、スイスの中のミラノの飛び地となりました。そして時間は流れ19世紀のイタリア統一がなされた時にイタリアの領土となりました。こうしてスイスの中にイタリアの飛び地が生まれたというわけです。(※「世界飛び地大全 (角川ソフィア文庫)」より)
実はここ以外にもヨーロッパにはこのような飛び地がいくつかありますが、西ヨーロッパにおいては、中世封建制時代の領主の持ち分の関係、プロテスタントかカトリックかといった宗教的理由、スイスの独立、スペイン継承戦争後のオランダの独立などでおおよそ説明がつきます。このあたりの経緯がある程度理解できるのは、高校の頃の世界史選択のおかげです。世界史を知っていると旅行が俄然楽しくなります。
世界遺産「サン・ジョルジュ山」
ついでなので、このあたり、ルガーノ湖付近にに世界遺産「サン・ジョルジュ山」があるとのことだったので、行ってみうと思いましたが、「たいして面白く無い」という噂もネットで目撃したので、悩んでいましたが、あらためて場所を調べると、なんとこのカンピョーネ・ディターリアから見ることができました。
見た目は普通の緑生い茂る山ですが、実はここには、中生代三畳紀中期(2億4,500万年前 – 2億3,000万年前)に属する5つの地層から、多くの化石が出土しているということで、大変貴重な場所ということで、世界遺産に選ばれているそうです。
いずれにしても湖畔から山を眺めて、さりげなく世界遺産訪問リストに追加することにして鑑賞を終了しました。
コモ湖沿いに面する「ヴィッラ・カルロッタ」
続いてコモ湖へと向かいます。実は高速でスイスに入る際に一度見ています。カンピョーネ・ディターリアから橋を渡りルガーノ湖対岸へ、そしてルガーノの街を通過し、ルガーノ湖の北側に沿って東へ。
途中再び一般道にてイタリア入りし、コモ湖へと到着。カンピョーネ・ディターリアからは1時間程度でした。
コモ湖はイタリアとスイスの国境沿いにある湖。観光ポイントはいくつかありどこからでも湖を眺めることはできるのですが、僕が今回選んだのはトレメッツォという街にある「ヴィッラ・カルロッタ」。素敵なヴィラとそこから眺めるコモ湖が美しいと評判のようです。なお、内部は写真撮影NGでした。
なお、カルロッタとはとある貴族のご令嬢、そのお父様がこの娘のためにこのヴィッラ(別荘)を購入したのだそうです。しかし、不幸なことにカルロッタは20代の若いうちになくなってしまったそうです。
ちなみに現地へ行って気がついたのですが、このヴィッラ・カルロッタがある街トレメッツォは、イタリアのもっとも美しい村のひとつにも選ばれていました。ここは確かに美しい。
コモの街がひどい
このあたりで午後4時。そろそろ宿を決めなくてはいけません。選んだのはコモ(街の名前です。)の市内。なぜこの街に来たのかというと、翌日この街に泊まるつもりで既にホテルを予約していたからです。当初の予定では、コモには旅の最終日に来るはずでしたが、ドロミテの天候の関係ですべての予定を一日前倒ししているため、もし開いていたらこのコモも、ドロミテのコルティナと同様泊まってしまえばキャンセル代はかからないはず、そう思ってこの街を宿泊地に決めました。
それにしてもコモまでの道のりがとても狭くて厳しかったです。コモ湖の西側にそった道路を運転するのですが、とにかく狭くてクルマも多くて大変でした。でも、その分、運転しがいはありました。このタイトさはアマルフィー海岸以上だったと思います。
そんな苦労をしてようやくたどり着いたコモなのですが、ここがびっくりするほど荒んでいてひどかったです。この旅で一番がっかりした街でした。
コモは一部の高級ホテル周辺こそきれいですが、街全体がなんだか暗いんです。道路も荒れているし、バスターミナルも荒れている感じ。南イタリアの街やシチリアよりもひどかった気がします。南イタリアの街は殺風景ではありますが一方で味もあるしそしてなにより明るい雰囲気があったような気がします。
とはいえ、まもなく夕暮れなので仕方なしに予約していた(実際は翌日)ホテルへと向かいます。ところがなんとこのホテル、この日は満室で泊まれないとのこと。なので明日また来てくれ、と。こんな街明日も来たくないから、適当に実は予約する日を間違えてしまった、明日は来れない、なんとかキャンセルできないか(前日キャンセルはNG)と交渉してみたが、対応してくれた受付の人は、「自分はオーナーではないから判断はできない、しかし、このことはオーナーに伝えておく。それでもキャンセルできない場合は、申し訳ない」と、とても丁寧に対応してくれました。街はイマイチだけど、人は親切で助かりました。(でも結局キャンセルはできず仕方なく料金を支払いました。)
急遽決めた宿泊地ヴァレーゼへ、近くのレストランがなかなか良かった
ということで、急遽ホテルを探すはめになりました。翌日のことを考えて選んだのは、ヴァレーゼというコモから1時間程度離れたところにある小さな街。Booking.com検索で、その郊外に値段もよく雰囲気もよさげなホテルを発見。夕暮れ、そして夜の高速をハシラせて夜8時に目的地に到着。
ホテルは外観も中も非常によい質で安心でした。しかし、このホテルにはレストランがありませんでしたので、ダメ元で(なにせ郊外ですから)近くに食べるところはないかとホテルの人に聞いてみたところ、幸いな事に歩いて5分位のところに「メドゥーサ」という評判のレストランがあると教えてくれたので、早速行ってみることにしました。
ホテルの人に教えてもらったとおり、教会裏の通りを曲がって約5分。真っ暗な住宅街の中、周りと比べると若干明るい雰囲気のレストランを発見。どうやらここがその「メドゥーサ」のようです。
ローカルなイタリアンレストランなので、地元に関係ありそうな料理を注文。唯一残念だったのは、ミラノ風リゾットがNGだったこと。2人以上でないとダメとのこと。仕方なくニョッキゴルゴンゾーラソースに変更。皆さんご存知ブルーチーズの代名詞「ゴルゴンゾーラ」はミラノ郊外にある村の特産品。
ここでは以前も紹介しましたが、牛フィレ肉のステーキが美味しかったです。ソースはガーリック&シャンピニオンソース。なんといってもお肉の柔らかさに感動。
そして、締めにはやはりゴルゴンゾーラを。たっぷりと出てきました(笑)。
なお、ワインは地元の白ワインをデキャンタで。発泡性の白ワインを飲むのは初日のクールマイヨール以来。スプマンテではないようですが、この発泡性白ワイン、慣れてくるとたまらなく食欲をそそっていいです。今後着目したい一品。
少々郊外の何もない住宅街にぽつんとあるレストランだったことで、不安もありましたが、いざ頂いてみるとどの料理もワインもおいしくて大満足でした。食事を終えて真っ暗な道を辿ってホテルへと戻りました。
ちなみに後で知り合いに指摘されて気がついたのですが、「メドゥーサ」という名前のレストランで「ゴルゴン」ゾーラを食べるなんて、なんだか石化されそうな組み合わせでしたね(笑)。
いずれしても、この日は、いろいろ良かったことと残念なことが入り乱れた波乱万丈な日でしたが、最終的に急遽決めたホテル、そして勧められたレストランがなかなか良くきれいに締めることができたました。
翌日は最終日。パヴィアという修道院からミラノに行こうと思います。