天才と凡人と完璧主義

essay

先日目にしたネット記事。

完璧主義の治し方 – 脱社畜ブログ http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2013/12/20/210132

ほんとそのとおりだと思う。

でも、大学の時、もはや優秀を通り越して僕からすると「天才」としか言いようのない人の勉強方法が、なんというか全部「あたまからやる」ということに気がついた。

「あたまからやる」、それは課題でも問題でもなんでも最初からコツコツやること。

例えば、受験問題を思い浮かべてもらいたい。理系だと記述式の数学がいいかな。理系の人だとよくわかってると思うけど、はっきりいって制限時間内に全問解くのは難しいもの。なので、まず確実に解けそうなところから片付け、時間が余ったら、難しい問題を解きはじめる。多くの人はだいたいそんな感じで問題を解いていくと思う。

でも、彼らは違う。そんなこと全く考えてない(ように思われる。)

ほんと素直に第一問から解いていくんだよね。そして、誰よりも早く終わって満点をとる。完璧に仕上げる。

そんな「彼ら」のような人、高々学部中に先輩後輩同級生含めて2、3人にしかあわなかったけれど、みんなそんな感じだった。

受験勉強の経験は当時でも今でも僕の人生にとても役に立っているんだけど、いつのまにか効率重視で限られた時間の中で極大化を目指す、そんな習慣が無意識についていて、もしかしてこれって「弊害」だったのかなあと、彼らをみてすごく思ったことがあった。

同様にビジネスでも、完璧主義を目指すのではなく、限られた中での極大を目指すべき、「完璧主義を捨てなさい」とよく言われるけれど、やっぱりこれもある意味社会人になった「弊害」的発想なのかなあとたまに思うことがある。

完璧主義を目指すのは幼稚、でも完璧主義目指すべきでないで止まるのも、それはそれでやっぱり幼稚なのかもしれない。

当然天才でないからこんな「あたまからやる」なんてできない。だからといって、天才でないことをこの歳になって悔いることはもちろんない。でも、こうした天才の行動のしかたもそれはそれで別の視点からの行動でとても参考になると思っている。

単純な完璧主義・非完璧主義といった二元論でことを済ませず、いつでもバランスのいい考え方、行動をしていきたい。

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