訪問日時:2016年4月27日 午後3時過ぎ、1泊
スペインの古都、なんだけどちょっと中途半端?
2016年7月のフランス旅行で更新が遅れてしまいましたが、2016年GWの旅行記はまだまだ続きます。フランス旅行のほうに着手できるのはいったいいつだろうか…。
アラゴンの都「サラゴサ」に1泊
アルケサル、ロアーレ城に続いて選んだ訪問地は、アラゴンの都である「サラゴサ」、そして4日目の宿泊地もここに決めました。ロアーレ城からは高速で1時間程度。過去の数回のスペイン旅行を通してずっと気になっていた街の一つ、ようやく訪れることができました。
サラゴサの位置はこのあたり。マドリードとバルセロナの中間、といったところでしょうか。
このサラゴサは、現在のスペインの礎を築いたアラゴン王国の都でした。その歴史は古く、ローマ共和国以前に人々の定住が始まったとされ、ローマ帝国時代には植民市としてアウグストゥス帝により“カエサラウグスタ”という名で呼ばれていたそうです。その後は、ゲルマン民族(西ゴート)の支配、そしてイスラム教(ウマイヤ朝)の支配を経て、12世紀よりアラゴン王国がこの街を治めるようになりました。
ここサラゴサも、この旅で2日目に宿泊した「テルエル」と同様に、レコンキスタの後、残留イスラム教徒「ムデハル」の建築様式とキリスト教建築様式が融合したスタイルの建物が存在する街で、世界遺産「アラゴンのムデハル様式の建築物」の一角をなしています。
ピラール広場近くの安ホテルに1泊
この街の到着は午後3時、街の規模を考慮するとこの日はここで泊まったほうがよさそう。ということで、ホテルをロアーレ城の駐車場からbooking.comで予約し、その後、直接向かいました。ホテルの場所は、サラゴサの中心「ピラール広場(Plaza del Pilar)」から徒歩1、2分というロケーション。にもかかわらず、なぜかとても安かったです。駐車場はこのピラール広場の地下駐車場にしましが、幸いホテル側がこの駐車場で使える24h有効のチケットを10ユーロで提供してくれました。スペインはやっぱりホテルも駐車場も安くていい。
「ピラール広場」と「ピラール聖母教会」「La Seo」どちらも撮影禁止!
車を停めてホテルへ、チェックイン後ただちに市内観光開始。まずは街の中心「ピラール広場」へ。サラゴサといえばやはりこの広場。とても広いです。
ちなみに反対を向くとこのようなアートが。僕が停めた地下駐車場はこの真下にあります。
ここに2つの有名な聖堂があるので訪問してみることにしました。ところがどちらも内部撮影は禁止…。よって写真は広場から撮影した外見のみ。しかし、どちらもとても素敵な聖堂でした。
ゴヤ美術館、ゴヤはサラゴサ郊外の出身
サラゴサ観光を始めたのは16時ころでしたので、到着した日に見れるものは限られていました。2つの聖堂以外にこの日訪れることができたのは「ゴヤ美術館」。このピラール広場の裏手にありました。
ゴヤといえば、プラド美術館に所蔵されている「マヤ」シリーズが有名ですね。このゴヤ、実はサラゴサ郊外のフエンデトードス(Fuendetodos)という街の出身で、ここサラゴサで絵の勉強をし、その後、スペイン王室の宮廷画家として活躍しました。
そんな彼の地元ともいえるサラゴサにあるゴヤ美術館ですが、正直、イマイチでした(笑)。あまり印象に残っていないです。やはりプラド?なお、フランスのカストルにもゴヤ美術館があるのですが、作品数は少なくあまり口コミの評判もよろしくない模様(ただし最後の審判は見応えがあるとのこと)。プラドは行きましたが、カストルは泊まっただけで美術館には訪れていません。
サラゴサのレストラン
雨が降ってきたのでこのあたりで観光終了。さて夕食、ですが、スペインの夜は始まるのが遅い。ということで、21時くらいまでホテルで仮眠してから、街へ繰り出しレストランへ。レストランはトリップアドバイザーで適当に見つけたこちらのレストランで、ホテルからは徒歩5分ちょっとの距離でした。
ここでいただいたのは、生ハムとトマトのカルパッチョ。とても美味しかったけどちょっと塩がきつかったか。
そして子豚のグリル。子豚料理は代表的なスペイン料理のひとつとのこと。非常に柔らかく癖も少ないのが特徴。ソースは非常に甘いハチミツ風味でこれが柔らかいお肉との相性が抜群でした。
さて、デザートは「フラン」を、日本で言うところのプリン。これは今回のスペイン旅行で食べたフランの中では一番美味しかったかも。
クリームブリュレや日本のやわらかタイプのプリンとは違ってしっかりと歯ごたえある硬いプリンのほうが僕は好みです。
ワインももちろん頼みました。赤のデキャンタを適当に頼んだのですが、ボトルで値段同じでいいよと勝手にボトルが入ってしまいました。10ユーロくらいだったと思います。スペインのワインは安いけれども美味しい。
ここのレストラン、味が少々塩辛いのが気にはなりましたが、全体的にとても美味しく、評判がいいのもうなずけました。いいところを選んで満足。ちなみにここはビジネスマンが多かった印象。近くがオフィス街だからかな?英語、そしてフランス語を話している人が多かったように思います。
ホテルへ戻ってからはそのまま寝てしまいました。
イスラム支配時代の宮殿「アルハフェリア宮殿(Aljaferia)」
さて夜が明けて翌日。昨日時間の関係で見られなかったサラゴサの代表的観光地「アルハフェリア宮殿(Aljaferia)」を見に行きました。
この宮殿は、やや街の中心ピラール広場から離れたところにあります。とはいっても徒歩で10分ほど。僕の車はピラール広場の地下駐車場にあるので、一旦荷物を車に置きに行ってからこの宮殿に向かいました。到着は開館の10時より若干早かったので開くまで入口付近で待機、そして開館、開館と同時に入場したので、一番乗りでした。特にガイドツアーはなく自由に見るスタイルでした。
まず宮殿に入ると中庭、
そしてすぐ右手には大変美しい宮殿の間が。
この宮殿の歴史は9世紀にまでさかのぼります。はじめは、イスラム時代の宮殿として使用されました。以下の写真の様式は13世紀のイスラム教に支配されていた時代にデザインされたものだそうです。
中の展示物も充実していました。ただしスペイン語なので詳細まではわからず。なお、このブログは現地でいただいたフランス語版のパンフレットを見て書いています。(幾分語学力がないので情報に齟齬が有るかもしれませんがご了承ください。気が付き次第訂正します。)
ところで、現在見るような宮殿の外側にある城壁は、単に宮殿をまもるためのものでしたが、非常に強固なことから、宮殿でありながらここはまるで要塞のようです。
その後、この地はアラゴン王国によってキリスト教の支配下に入り、この宮殿はキリスト教の力と権威を示す目的で、イスラム的な建物を覆い隠されたものの、ムデハル様式の影響やその後のルネサンスの影響なども受け、「Rois Catholiques」という名で知られる建築スタイルの中でも最も重要な建築として知られるようになったとのことです。しかし、どのあたりがこの建築スタイルだったのかはよくわかりませんでした。1F(日本では2F)のこのあたり?
ちなみに、最後の階段の踊場にて、アラゴン王国、そしてカスティーリャ王国、その2つが一つになってできたスペイン王国。さらにその子孫とイギリス王室との関係をわかりやすくまとめた家系図が、とても良く出来ていました。
偶然ですが、現地でこの宮殿を訪問する前日に、twitterで「アラゴンにいます」とつぶやいたところ、イギリス在住の友人から「アラゴンって”キャサリン・オブ・アラゴン”のアラゴン?」なんてリプライが来たのですが、本当にその通りでして、キャサリン(スペイン語ではカタリーナ)は、アラゴン王フェルナンドとカスティーリャ女王イザベル1世の末子として生まれ、後にイギリス王ヘンリー8世(スペイン語ではエンリケ8世)と結婚することになるわけです。この家系図の一番下にも書いてありますね。
キャサリン・オブ・アラゴンについては、いろいろなエピソードがあるので、詳しいことは別の文献などを参考にしてみてください。
いずれにしても、ここでもまたひとつヨーロッパの歴史についてよく学ぶこと、学び直すことができました。ヨーロッパ旅行ではこうした勉強もできることがとても楽しいです。だからこそなかなかやめることができないのです。
ちょっと地理、見どころが中途半端かも
これでサラゴサ観光は終了。見どころはところどころありましたが、やっぱり少々中途半端な感じもしました。バルセロナとマドリードの間でかつ、この両都市間が最近は列車で2時間程度で移動できるようになったことなども考えると、立ち寄りづらい街であるとも言えるでしょう。それでも食事は良かったし、そして、最後に見たアルハフェリア宮殿はとても見応えがあり、一泊してとてもよかったと思っております。
さて、次なる目的へと向かいます。(続く)