6日目その2:第一次世界大戦激戦の地「ソンム」を巡るその1 – 2014メドックマラソン日記No.17

メドックマラソンと北フランスの旅 2014年9月
メドックマラソンと北フランスの旅 2014年9月

現地時間:2014年9月16日午後

2014年9月16日は、僕にとって一生忘れることのできない印象的な日となりました。

ソンムの戦いの看板を発見

フランスの高速道路を運転された方ならおそらくご存知なのですが、高速道路を走っていると、時折その付近の有名な史跡や街を紹介するイラスト付きの看板を目撃します。

前日、アミアンからリールへ向かう途中、高速道路にて「Bataille de la Somme」の文字が描かれた看板を発見。それがこの地の訪問のきっかけとなりました。

世界遺産の大聖堂があるアミアンは、ソンム県の県庁所在地です。クルマで移動すると、地域圏名や県名を頻繁に目にします。

当然ながらアミアンへ向かう途中に「ソンム」という名称を目にするわけですが、はじめはその名前を聞いても、「ソンムの戦い→第一次世界大戦」と連想するには至りませんでした。

前日アミアン出発時点で気がついていれば効率的に旅行ができたのですが、今更後悔しても仕方がない。でも、ここを見ないで帰国するのはそれはそれで後悔するはず。そう思って、再びソンムに戻ることを決意しました。

リールでLonely Planetを購入して調べる

前回の日記でも書いたのですが、たまたまリールのグラン・プラスに大きな本屋さんがあったので、そこでこのソンムの戦いについて情報収集をしてみることにしました。

その本屋さんには、michelin のグリーンガイドなどいろいろなガイドブックがあったのですが、ソンムの戦いとそれに関連する史跡を紹介しているのは、Lonely Planetくらい。

もしかしたらiOSアプリでも探せば合ったはずですが、通信状況がよろしくないので、少々かさばるのですが、本を買うことを決意。

それにしてもこういうところをきちんと抑えているLonely Planet、さすがです。

このめぐり合わせはすでに出発前から予兆があった?

実はフランスへ出発する直前、羽田空港で、機内で読もうと考えたKindle本を数冊購入、ダウンロードしたのですが、その中の一つにこちらの本がありました。

第一次世界大戦 (ちくま新書)

まして、2014年は第一次世界大戦開戦からちょうど100年目。本のダウンロードもそうですが、そんな年に偶然にもエールフランスのストのために、当初予定になかったこの地を訪れたのは、なにかの運命なのかもしれません。

ソンムの戦い、そして塹壕とは

実際に訪れた史跡を紹介する前に、「ソンムの戦い」、そして第一次世界大戦で忘れては行けない「塹壕(ざんごう)」について、簡単に説明しておきます。

(以下、Wikipediaを参考にしながら一部修正・加筆します。)

ソンムの戦いとは1916年7月から11月中旬まで続いた、フランス北部ピカルディ地方・ソンム河畔における、連合国側イギリス・フランスと同盟国側ドイツとの会戦で、第一次世界大戦最大の激戦となった戦いです。

両軍あわせて100万人近くの人が犠牲になった、これまでの歴史上をみても類のない被害となりました。

激戦であったにもかかわらず、連合国側はドイツ撤退させるという目的をほとんど達成できなかったとのことです。

このような甚大な被害と硬直した状況が改善されなかった大きな理由の一つが「ライフル銃の登場」です。射程距離が伸び威力が増したことで、近代まで有効であった騎兵隊の威力が無力化されました。

一方で、戦車などの兵器も登場はしていたのですが、この頃はまだ性能も十分でなかったため、主力兵器として用いられることは殆どなかったのとのこと。従って、中心はライフルを装備した歩兵だったそうです。

そして、射程距離と威力を増したライフルから兵隊を守るために登場・発展したのが「塹壕(ざんごう)」です。塹壕とは歩兵を銃撃や砲撃から守るために掘られた穴・溝のこと。第一次世界大戦時には最大でバルト海沿岸からスイス付近、さらには地中海近くまで塹壕線が構築されたといいますから、その規模たるや想像を絶します。

フランス各地にある第一次世界大戦の追悼碑

ところで、以前このブログでも紹介したことがあるのですが、美しい村巡りでフランス各地を訪れた時、ほぼ必ずと言っていいほど、第一次世界大戦の追悼碑が街や村に建てられているのがとても印象的でした。

Mortemart 20110424-IMG_6937

ヨーロッパでは第一次世界大戦のモニュメントをよく見かけます | my lifelog yuu-koma.jp http://www.yuu-koma.jp/?p=8175

特に子供の犠牲に対する追悼碑を多く見かけました。それだけフランスの人々にとって、忘れられない大戦争だったのでしょう。

(「6日目その3」に続く)

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