2018年7月ブルガリア・ルーマニア、ブルガリア編その5:コプリフシティツァ

2018年7月ブルガリア・ルーマニア
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訪問日時:2018年7月15日、正午頃

ソフィアの街を出発して次に向かった街が今回ご紹介する「コプリフシティツァ」という街です。この街は、111キロメートル程度に位置する山岳地帯の中にあります。ソフィアからは主要地方道路を通って東へ、1時間ほど高速道路を走った後、より細くて小さな一般道へ折れ、南へと向かいます。はじめのソフィアからの一般道路はほぼフラットで見通しのよいルート、道もしっかりしていました。しかし、いざ街へと向かう一般道へと折れたときは、山の中・森の中と雰囲気は一変。それでも道自体は非常にそして、ちょうど正午近くにコプリフシティツァに到着しました。

非常に良い天気、そして日曜日ということもあって大変な混雑でした。駐車には一苦労。駐車は空いているところに路駐するしかなかったです。しかしどうにか街の入口付近で日向ですがよい場所を見つけることができました。

さて、このコプリフシティツァは、14世紀頃、オスマン帝国の侵入により土地を奪われた人々が逃れ、隠れ住むために生まれた街です。しかし18世紀になると、理由や経緯はわからないのですが、スルタンから商業的な特権を与えられたことで、商業で財を成したもの多く現れ、次第に街は豊かになっていったということです。

オスマン帝国領で成功した商人たちは、この村に立派な民族色豊かな屋敷を建てるるようになりますが、特に19世紀のブルガリア民族復興期時代、この建築はもっともピークを迎えます。現在この街に残る色とりどりの屋敷はこのころに作られたものです。全部で400件近くある建物のほとんどは、今日修復によりかつての姿を保っています。

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ということで、コプリフシティツァは、街のあちこちに点在するこれらの民族色豊かなお屋敷がまるでひとつの作品であるかのような、街そのものがまるで美術館のようです。

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街の入口に観光案内所がありますので、ここで簡単な地図やパンフレットがもらえます。

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さて、村を彩るこれらの屋敷は有料無料のケースは様々ですが、内部を開放しているところが数多くあり、その中では、武器や民族復興期の芸術作品、工芸品、織物、刺繍、民族衣装、宝物など、当時のブルガリア人の民族誌学的な遺物を見学することができます。

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ところで、コプリフシティツァは、1876年にオスマン帝国の支配に対する抵抗として始まった4月蜂起の、最初の引き金となった町でもあるそうです。たとえオスマン帝国内で自由に商売ができたとしても、所詮は他の民族の支配下にあったわけですからね。 このコプリフシティツァは前述したとおり商業によって財力を蓄え、力もつけてきたこと、そして19世紀という時代背景もあり、この街の有力者たちが、国のために一大決起してオスマン帝国に立ち向かったということです。ただこの4月蜂起は失敗に終わります。蜂起の起こしたこの街の有力者の一部は、オスマン帝国に捕まってしまい、牢屋に幽閉されたまま悲運の生涯を送ることとなったそうです。

その中心であった人物の屋敷も見学することができましたし、村の各地で地元の名士の像を見ることができました。

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民族運動に関して言うと、19世紀にはブルガリア語やブルガリア民族の歴史を子どもたちに学ばせるための運動も起こりました。屋敷の中には当時の学校(教室)があったり、あるいはそれらの内部でブルガリア民族教育の展示など見ることができました。

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ところで、街は山間の森のなかにあるため、非常に自然豊かで心地よいです。街にも美しい小川が流れており、より街の心地よさを演出しています。

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食事に関してですが、ちょうど到着が正午過ぎだったので、ここでランチを取ることにしました。

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ブルガリア料理は、非常にトルコに近い、いやトルコそのものな感じがします。このような容器で蒸し焼きにしたお肉などを中心に、味付けはいい感じでスパイスが効いていてとても美味しいです。

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この街は観光にも大変力を入れている街なので、レストランや宿泊施設も揃っており、また、観光案内所近くにあるお土産屋さんもとても立派でした。ホテルですごす部屋着が欲しかったので、ここで素敵なTシャツを買ってみました。

この日は朝からの快晴が続き、我々がちょうど観光していた頃が最も暑かったです。そして人も多かったです。

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街歩きと美しいお屋敷巡りはかなりのボリュームだったため、お食事込だったとはいえ、いつも観光が駆け足気味な我々でも4時間近く時間を要しました。コプリフシティツァ出発は16時過ぎ、ここからブルガリア第二の街「プロヴディフ」へと向かいます。この日の宿泊地です。

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