2018年7月ブルガリア・ルーマニア、ブルガリア編その9:黒海の街ソゾポル、はじめての黒海

2018年7月ブルガリア・ルーマニア
2018年7月ブルガリア・ルーマニア

訪問日時:2018年7月17日、正午頃

前泊地カザンラクを出発、少々強引な日程ではありましたが、この日は、ブルガリア中部から一気にブルガリアの東側、黒海沿岸へと向かいました。はじめての黒海です。黒海沿岸にはいろいろな都市があるのですが、今回の旅行で選んだ街は2箇所、そのうちの一つが今回ご紹介する「ソゾポル」という街です。いろいろなヨーロッパ巡りをしてきましたが、実は黒海を見るのははじめてのことでした。

ソゾポルは黒海沿いのリゾートとしてかなりの人気があるそうで、ちょうど7月そしてお昼ごろの到着とあって、街はたくさんの人で賑わっていました。

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さて、黒海沿岸というのは非常に歴史がある地域です。はるか古代オリエント文明以前の青銅器時代(紀元前3000年から紀元前1300年くらい)にはすでに人々が定住していたと言われています。ブルガリア人の祖先とも言われるトラキア人は、ギリシャ人植民が始まる以前からこのあたりに住んでいましたとも言われています。しかし、いわゆる都市文明が発展するのは、やはりギリシャによる植民が始まってからです。

今回ご紹介の街、黒海西岸に位置する「ソゾポル」も3000年近くの歴史を持つ大変古い街です。かつてはアポロニアと呼ばれていました。

以下、この街の博物館にあったパネル情報をもとにこの街の歴史を紹介していきます。

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アポロニアは、エーゲ海をはさんだギリシア本土の対岸、アナトリア半島西海岸にあったギリシャの植民都市「ミトレス」からの移住者が紀元前610年から608年にかけて築いた街、黒海西岸の港町として、交易が盛んになり一気に栄えるようなったということです。さらに街の郊外には豊かな銅鉱山「メドニリッド鉱山」があったため、なお一層この街の発展に貢献したそうです。

アリストテレスによれば、アポロニアの第二の移住ブームは、アポロニアがアンヒアロス(現在のブルガリアの都市ポモリエ)を植民地として建設してから起こったとのこと。

しかし、アレキサンダー大王の死後、街の繁栄はストップ、深刻な打撃を受けます。その後はポントス王国の支配下となりますが、3度に渡るミトリダテス戦争の結果、ポントス王国はポンペイウス率いるローマ軍に滅ぼされ、以後、ローマ帝国の支配下となります。

少し時は過ぎ中世の時代。アスパルフによって建国された第一次ブルガリア帝国時代には、ビザンツ帝国の国境の要塞として重要な拠点となっていました。

その後はビザンツ帝国の支配下となり、宗教的にも重要な街となり栄えましたが、1453年にオスマン帝国に占領され、その支配は1877年から1878年に起こった露土戦争が終わるまで続きました。

と、このように3000年近くの大変古い歴史を持つ街ですから、街のあちこちから遺跡や陶器やらが続々と発掘されるそうです。それらが展示されているのがこの街の博物館なのだそうです。

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博物館自体はそれほど広くはないのですが、発掘物の展示、特に壺の展示がものすごく多かったのが印象的でした。

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ちなみに、博物館のパネルが、なぜかブルガリア語とフランス語だけというのがとても不思議だったのですが、どうやらこのあたりの考古学研究は、フランスとブルガリアの考古学者の協同で行われていたようです。

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そんな歴史あるソゾポルですが、現在は黒海沿岸のリゾート地として大人気。海もあり、そして古い町並みもあり、多くの観光客で賑わっていました。

我々は海沿いのカフェで軽めのランチ。

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その後は、前述の博物館を見学した後、少し旧市街を散歩しました。正直、旧市街はお土産やさんと飲食店だらけであまり風情は感じませんでした。しかし、とても活気のある楽しい街でした。

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