訪問日時:2013年5月13日午後2時頃
それにしてもこのミディピレネー地方には本当に美しい村が集中しています。
ローゼルトから1時間弱で到着した今回ご紹介のブリュニケル、そしてこの後訪れるピュイセルシー、カステルノー・ド・モンミラルは、いずれも同じ街道、タルン・エ・ガロンヌ県のD964に沿って点在しています。
それぞれの距離もクルマで15分から20分ほど。もちろんクルマが必要ですがまとめて効率よく訪問するには最適なフランスの美しい村だと思います。
さて、村の入口に程よく駐車できるスペースを発見、そちらに無事クルマをとめてから観光開始。
どうやらここには中世の城址があるようなのでゆっくりと歩きながら高台の城を目指します。
村の内部ですが、保存状態はとてもいいと思います。でもそれが行き過ぎていなくて程よいところが、より中世を感じさてくれて素敵な雰囲気を演出していると思います。
そんな非常に歴史を感じさせる町の小路をくぐり抜け、お城へとやってきました。
内部は有料でした。入り口でお金を支払い英語のガイド(といっても簡単なチラシ)を受け取ってから城内散策開始。
外から見た感じでは結構荒廃が進んでいたのでたいして期待していなかったのですが、いざ散策を開始するとこれが結構見どころがあってとても楽しい。
いわゆるヨーロッパの古城でよく見かけるような展示の部屋はもちろんのこと、
中世のお城なのかなとおもいきや、このような先史時代の遺跡らしきものを展示している部屋もありました。
ここはルネサンス期に作られた回廊のようです。
そして、なにやらこのような写真が飾れれている間が。どうもとある映画のロケでこのブリュニケル城が使われたみたいですね。
何の映画なのはかわかりませんが、とりあえず写真を撮っておくことにしました。
さて、私にしては珍しくお城でもらったチラシを保存しておりました。英語版もらったのでかろうじて読めます。
この情報をもとにざっとお城や街の解説してみます。
このブリュニケル、伝説によればメロヴィング朝時代の女王様によって建設された街だそうで、9世紀に終わりからは、もうこのblogではすっかりお馴染みトゥールーズ伯爵の支配を受けるようになりました。
そして、少し時代が進みまして13世紀、この時代のこのあたりの地といえばやはりカタリ派討伐(アルビジョア十字軍)と関連深いわけですが、どうやらその時には戦災を免れたみたいです。
その後の出来事は15世紀でしょうか。ちょうど時代は宗教改革の頃ですが、どうやらブリュニケル、こちらの影響は受けたようです。でも破壊されたとかではなく新しい城ができたんだとか。
そう、実はここには2つのお城があるんです、といっても隣接してるので、新しい城というとちょっとオーバーな感じはしますけどね。
その新しいお城は旧派のカトリックと新派のプロテスタントとの対立から築かれたとのことです。
確かにchateau vieux(old castle、古城)という案内看板ありました。
新しい方のお城のほうは、最初に入った建物、つまり入り口側でして、ここに受付があるのですが、こちらは新興勢力のプロテスタント側が建てたところなんだそうです。
結局、この争いはプロテスタント側が勝利し、それからはプロテスタント派がこの城を支配するようになりました。
その後はというと、絶対王政時代、ブルボン朝による支配時代ですね。この頃までにはさらに強固な要塞へと変化していったものの、時代とともにその重要性は薄れていき、フランス革命以後は、単なる領主のおうちとなっていったようです。邪魔な城壁を取り壊して、麓を流れるアヴェロン川を見渡せるテラスやギャラリーをつくったのだとか。
なるほど、こうした素晴らしい景色が気軽に眺められるようになったのはこの頃なんですね。
そして現代になって1987年のこと、このブリュニケル城の歴史的価値があらためて再認識され、タルン・エ・ガロンヌ県からの援助を受け本格的な修復作業を行うことおが決定、現在でも修復作業は続いる。
チラシには大体こんなことが書かれていました。
最初入ったときは廃墟っっぽくてあまり期待していませんでしたが、思った以上に見どころがあったし、景色も良かったので楽しかったです。
そして到着した頃は、曇りがちだった天気も気がつくと快晴に変わっていました。
快晴の中、撮影をしながら再び車に戻ります。
最後は村の外側から写真撮影大会。
うん素晴らしい天気!次の村も期待できそうです。
公式サイト:Bruniquel