Brouage(ブルアージュ)- フランスの最も美しい村巡り2017 No.1 -★★★★☆

2017年9月スイス・フランス
2017年9月スイス・フランスフランスの最も美しい村フランスの最も美しい村巡り世界の最も美しい村巡り
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訪問日時:2017年9月23日、午後6時頃

久しぶりにフランスの最も美しい村巡りシリーズの投稿です。ウェブ上のプロフィールでは「フランスの最も美しい村完全制覇」と自慢げに謳っていますが、実は「フェイク」なプロフィールとなっていました。

2017年6月にまた新しい村が加わる

というのは2017年6月にBrouage(ブルアージュ)という村が156番目の村として新しくフランスの最も美しい村に登録されたからです。

Charente-Maritime 県の村はこれで5つ目となりました。ちなみに残りの4つは以下です。もちろん訪問済みです。

これらの4つの村は海に近いエリアということもあり、共通の雰囲気を感じ取れます。海が近いと開放的で海の明るい色合いにあう建物デザインがとても美しかったです。とはいえ毎度のことですが、このブルアージュも含め、Charente-Maritime 県も訪問効率的には行きづらいところに位置しています。たしかにレ島(Île de Ré)にある村についてはラ・ロシェルという大きな街からアクセスしやすいですが、ラ・ロシェルの街にはあまり日本人は行かない様な気がします。

思ったよりも混んでました

さてこの村へはボルドーの街から向かいました。ボルドーは気がつけばかなりの回数訪れていましたね。ただこのときは宿泊せず少しだけ立ち寄っただけ。ボルドーからこの村へは思ったよりも時間がかかったような気がします。村に到着したころは時間は18時を過ぎていました。それでもフランス国内でも西側に位置するため日はまだまだ高く、観光するには全く問題ありませんでした。天気も快晴!

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非常に行きづらい場所にある割には、思ったよりもクルマと人が多くてビックリでした。そういえばこの日は日曜日でした、そのせいだったかもしれません。非常に開放的な村でもう9月下旬だったとは言え十分に暖かくまだまだヴァカンスでそうな気候だったことも関係があったのでしょう。また、最近はフランスの最も美しい村もかねり知名度が上がったので、その影響もあるかもしれませんね。(かなり先になるかもしれませんが、このときの旅行では7年ぶりに訪れたフランスの最も美しい村がありましたが、7年前とは比べ物にならないくらい混雑していて驚きました。このあたりはあらためて記事にする予定です。)

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ただ思った以上に混雑していたので駐車に苦労するかと思いましたが、村に入ってすぐのところに大きな訪問客用の駐車場があったので問題なく駐車はできました。もちろんもう夕方という時間帯だったから駐車場自体は空いていましたが、もしかすると昼間に来ると駐車するのに苦労したかもしれません。

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ちなみにこの村は非常に観光客ウェルカムな雰囲気が強くて心地いいです。村の入口にはこんな看板が。

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語学力文才がないので上手に訳せないのですが、

旅人よ、立ち寄りたまえ。おまえが踏み入れたこの土地、おまえが吸ったこの空気には、過ぎ去りし日の栄光と威厳が満ちあふれている。

っぽいことが書いてあります。

この村の歴史

上で紹介した記事や現地の教会で得た情報などから、簡単にこのブルアージュの歴史をご紹介しましょう。(教会の歴史についての資料はこちら)

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ブルアージュはフランス西部の大西洋側に位置するCharente-Maritime県の村です。現在は低湿地地帯となっていますが、このあたりはかつて小さな島々が転々存在するエリアだったようです。この村はその島々を防衛するための拠点として築かれたのがはじまりだそうです。16世紀になって本格的な要塞が築かれ、それが今日我々が見ることができる村の姿の原型となっています。

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ということで、何といってもこの要塞跡を観ることができることがこの村最大の魅力です。街を取り囲む城壁の上を歩くこともできます。登って観ると見た目以上に高い、そしてその割には手すり等全くないので、城壁の上の歩道の幅は広いものの油断禁物です。

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そして村の中の雰囲気、予想以上にカフェ、おみやげ屋さんが多かったと思います。

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またここはワロンの村?と思ってしまいたくなるようにメインストリートの道幅が広く、そして車の往来が多かったです。これはややネガティブなポイントでしたが一方で道自体はアスファルトではなく石畳だったので、ワロンの村々よりは雰囲気は出ていたと言えるでしょう。

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そうはいってもやはりCharente-Maritime県の村はマリンブルーの映えるどことなく開放的な雰囲気がしてとても心地よいと感じました。

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教会ではケベック州の特別展が。その理由は…

この村の教会はサンピエール教会といいます。要塞都市として栄え、住民が増え宗教関係の人も増えてきた結果、この街にも教会が必要になったということで立てられということです。教会自体が造られた年はこの説明文には書いてなさそうですが、他のウェブ情報などから推測するに1600年代だったと思われます。

とりあえず現地では理解できなかったのですが、後々勉強するために、可能な限り多くのパネルの写真を撮っておきました。それを私のつたないフランス語力ではありますが、読解しながら解説していきます。(もし訳や解釈等が間違っていましたらご指摘いただけると幸いです。)

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パネルによりますと、この特別展は「Maxime Le Grelle神父」という方のの追悼でもある、ということだそうです。彼は1970年から1984年にかけてフランスと北アメリカのフランス語圏との交流の発展に尽くした人物でした。そして彼はここの教会に眠っています。この教会では、彼の北アメリカフランス語圏での業績を称える目的で特別展を開催している、ということのようです。

そのMaxime Le Grelle神父の眠る場所、お墓ですが、どうやら教会の内部中央のステンドグラスの真下にあるようでした。確かにステンドグラスの写真の下側をよく見ると、お墓らしきものを確認することができます。

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ちなみに教会の祭壇の後方には3つのステンドグラスがあったようです。残念ながら写真に収めたのは真ん中の1枚だけです。特別展パネルの撮影に気を取られていて左右の2つを取り損なってしまいました。作品のタイトルは以下のとおりです。教会の説明パネル(ビラだったかな)に書かれていました。いずれも1980年代、1990年代に作られたものです。

  1. 左側:サントクロワ島への移住 (L’installation à l’île Sainte-Croix)
  2. 中央:ブルアージュの海での生涯 (La vocation maritime de Brouage)
  3. 右側:1608年 シャンプランによるケベックの創設 (La fondation de la Québec par Champlian en 1608)

ところで教会内ではフランス視点での新大陸歴史に関する特別展が行われていました。どうしてここで行われているのだろうか。このあたりとなにか縁があったりするでしょうか。

コロンブスなどのレコンキスタに引き続きカトリック教も精力的に布教目的も兼ねて新大陸への進出を行っていました。フランスの北アメリカ進出もこうした宗教的背景が一番の理由だと言われています。時代背景的には、新大陸発見が1492年頃、その後のヨーロッパでは宗教改革後のカトリックの方向性を定めたとされるカトリック教徒の歴史の中でも特に大事だとみなされている会議の一つ「トレント公会議」が開かれました。フランスにおいても、スペインなどのカトリック諸国同様、カトリック教を布教するために世界進出をはじめたとされます。そのなかで北アメリカ大陸への進出がはじまったということです。

この教会とケベックの関係は以下のパネルの説明から理解できました。前述したケベック植民を創設したサミュエル・ド・シャンプランが、どうやらケベックへ向かう前に、植民地創設の成功を祈願するためこの教会に立ち寄ったのではないかと語り継がれているようです。ただし、このエピソードに関しての記録が残っているというわけではないとも書いてありました。もっともシャンプランは、この村の近くにあるラ・ロシェルの港から新大陸ヌーベルフランスへ向かっていますので、既に要塞都市として知られていたこの街に立ち寄ったとしてもまあ違和感はないのかもしれませんね。

さらに調べてみたところ、このサミュエル・ド・シャンプラン、なんとこの街で生まれたそうです。日本語のWikipediaでも彼の記事があり、この村で生まれたことが書かれていました。なるほどこの村とケベックのつながりはここに起因しているのですね。ようやく理解できました。

それ以外にも多くのパネルを撮影しておきましたが、基本的には植民開始語の布教活動、特に慈善活動を中心とした歴史、そらに関連した絵画の写真の展示、またイギリスとの戦争の経緯などを説明したものでした。

例えば第二次世界大戦後の1958年には、ケベックには、宣教師5,000名、116のカトリック系病院、415の無料診断所、3,000校のカトリック系学校があったそうです。

とこのように主にカトリックの布教活動や慈善活動の歴史を紹介する特別展だったといえるでしょう。確かにここ教会ですからね。訪れたときの現場ではわからないことが多かったですが、展示パネルの写真を撮影しておいてあらためて勉強できたので大変満足です。

村の昔の写真が村のあちこちに飾られている

ところで、街中の至るところにはかつてのブルアージュの光景を撮影した写真パネルが展示してありましたが、この教会内にも教会のかつての様子が映し出された写真がありました。

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いずれの写真からも、建物の状態等の差はあれど、本当に現在の姿がそのまま保存されていることがよくわかります。ヨーロッパの人のこうした文化、姿勢にはいつも感銘を受けさせられます。

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